西日本シティ銀行さんに取材をして頂きました。

先日、西日本シティ銀行さんがお届けするメディアサイト

【 Go!Go!ワンク 】 にて、占部商店の取材記事が掲載されました。


コロナウイルス の影響で打撃を受けた当店は

今年の春から父と、そして子供たちが一致団結して

新しい試みに取り組み初めました。

色々と試行錯誤を行っていく過程で、このような形でメディアに取り上げていただけることは

大変ありがたく思います。


記事内には、祖父の代から始まった占部商店の昔の写真が掲載されていたり、

現店主である私の父が語る占部商店の歴史、そしてお店への想いも綴られています。


父は昭和のアナログ人間なので、ウェブサイトやスマートフォンの操作でさえも疎く・・・笑

こういった占部商店のウェブサイトやインスタグラムなどの更新、そしてお客様からのご注文のやりとり等は子供たちである私どもが対応させていただいております。


一気にガラッと方針を変えた取り組みは難しく

小さなことから、少しずつ、できることをコツコツと変革を行っている状況です。


まだまだやらねばならないことや、整備しなければならない点など、課題は山積みですが

占部商店の美味しいお魚を、より多くの方々にお届けできるように

引き続き取り組みに尽力してまいります。


是非、取材記事をご覧いただければと思います。

https://blog.ncbank.co.jp/posts/152

下町鮮魚店のDX(デジタルトランスフォーメーション)? シャッター街の魚屋さんがコロナ禍をプラスに変えた経営策とは

福岡市博多区東比恵、街の一角にある小さなお店、占部商店(お店のHPはこちら)。昭和40年(1965年)に創業し地元で愛され続けて55年。しかし時代の流れとともに町の賑わいは去り、来店客も比例して減少していきました。そんな中でも、2代目店主占部雅伸さんはコツコツと一人で店を営んできました。転機は2020年3月、コロナ禍でさらに困難になった経営を立て直すために動き出した「新たな策」とはSNSでの商品販売。子どもたちの応援で従来の魚の売り方を一変したITに無縁な占部さんと父親を後押しした娘さんに話を伺いました。50店舗を超える小さな店が軒を連ねる賑わいの街東比恵は博多区博多駅東側に位置し博多駅と福岡空港を結ぶ流通盛んなエリア。昭和40年(1965年)頃は工場や土木、運送会社などが立ち並び、そこで働く人々や家族が生活する街として賑わっていた。当時この街の商店街で食料品店を創業したのが占部商店。創業者の占部信博さんは好漁場でも知られる津屋崎町育ち。問屋で働きながら商売を学び、取引先の縁から東比恵で店を構えました。占部信博さんは息子3人と妻の5人暮らし。店は毎日客も多く繁盛店。「小さい頃は、兄たち兄弟3人でよく店の手伝いをしていました」と語るのは2代目店主の占部雅伸さん(55)。- 活気のある街だったのですね?占部: とにかく人が多かったんです。店の前の道など、通れないほど人が溢れてました。魚、肉、野菜、服屋、靴屋、食堂なんか小さい店が55軒くらいあって、生活の必需品が賄えるんで遠くからも人が来てました。店は家族だけでは足りないから、3人くらい人を雇ってましたねぇ。- 店を継ぐことになったきっかけはいつだったのですか?占部: 高校を出てこれからの進路を考えるとき、兄たちはすでにそれぞれの道を進んでいました。父は一代で店を閉じてもいいと言っていました。私は、特にやりたい仕事もなかったので、父に店をやらせてくれないかと頼んだんです。(笑) 父は、「今までと同じことをしていてはいけない、やるなら時代に合うよう、自分のしたいようにしろ」と言ってくれました。勉強のためにと卸業社に勤め始め、5〜6年働く予定だったんですが、店を手伝っていた母親の具合が悪くなって、22歳の時に店に戻って、間もなく23歳の時に結婚して3人の子どもが生まれました。手作り鮮魚加工品が新たな人気商品に- 食料品から鮮

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占部商店 - - - URABE SHOTEN - - -

福岡市博多区にある小さな食料品店。福岡で獲れた新鮮なお魚を皆様の食卓にお届けしております。